2月8日に日本からマドリードに移動し、そこから巡礼の出発地点、ブルゴスへと移動しようという計画を立てた。初ヨーロッパ旅行にワクワク。ブルゴスへのバスのチケットは未購入で、ふわっとした計画のまま、とりあえず飛行機に乗ったところから、僕の旅がはじまった。
いざマドリードへ
来る2017年2月8日(水)、僕は巡礼を行うためマドリードへ発った。
マドリードへはロシアのモスクワ・シェレメチェボ空港経由。多分シェレメチェボは、一生正しく発音することが出来ないだろう。
成田からモスクワ行きの飛行機の中で隣り合った日本人の女性と少し会話したが、彼女も卒業旅行で初めてのヨーロッパだと言っていた。現地で友達と合流して、ローマとかアテネとかに行くらしい。ここに来て、なんで普通の卒業旅行にしなかったんだろうと思った。
そんなこんなで、モスクワでその女性とは別れ、一人小さいAirbus機に乗り換えて、マドリード・バラハス空港へ。23時くらいに到着した。
スペインに入って最初びっくりしたのは、意外と英語が通じないことである。若者は除くが、日本と同じくらい通じないと思う。それは、スペインに到着して1日で思い知ったことであった。
まず、ホテルへ向かう為に、タクシーに飛び乗った。英語が全く通じなかったので、とりあえずグーグルマップを見せて、その場所に向かってもらった。
到着したホテルでも、チェックインカウンターの人以外、英語が通じなかった。自分の部屋が見つけられず、右往左往していたが、スペイン人のおっちゃんが助けてくれて、なんとか自分の部屋に到着した。
ちょっと言葉が通じないのはびっくりしたが、まぁでも、どうせ言葉なんて、通じなくてもなんとでもなるのである。無事ホテルにも到着できたし。その後は崩れ落ちるように眠った。
スペインの朝は遅い
ヨーロッパの最西端に位置するスペイン。朝日が昇るのはとても遅く、夜は長い。
せっかくのマドリードであったので、観光しようという思いが強く、早朝張り切って7時に起床したら案の定外は真っ暗だった。8時頃外に出たら、朝日がちょうど僕を照らした。
泊まったホテルはマドリード郊外で空港のそばにあり、市街地まで出るのに、メトロに乗る必要があった。せっかくだったので、散歩がてらメトロの最寄り駅Campo de Las Nacionesまで歩いてみた。大体1キロ位。巡礼前の準備体操である。
多分現地の人からしたらどうってことないものをパシャパシャ撮りながら、最寄りのCampo de Las Naciones駅についた。
そしたらなんと駅の工事中で閉まっていた(笑)
大誤算だったが、戻るのは嫌だったので、適当に歩いて近くの駅まで行くことにした。こういう無計画なのは結構好きだ。
そんなわけでもう1.5キロくらい歩き、地下鉄を見つけてメトロに乗車、市の中心地、Puerta del Sol駅で下車した。
ここを起点に、いろいろと歩き回ることにした。大体こういうところにくると、メトロの乗車券は回数券だったり乗り放題だったりするので、電車で移動すればいいんだけれど、なんだか歩いて色々見たくなるのは旅人の性だろうか。
スペインのソル広場の周りには、歴史的な観光名所と呼ばれる建物が集まっているようだった。次の日のバスのチケットも買っていない計画性、当然マドリードの観光など無計画であり、「世界の●き方」等の便利雑誌は持っていなかったが、適当にwifiで集めた情報と、グーグルの地図保存機能を使い、片っ端からめぐった。ビバ文明の利器。
ちょっと歩くと大聖堂もあった。
ちなみに中はこんな感じ。
できればベンチで一休み・・・と思ったが、ベンチをすでに占領していた彼が死にそうだったので、止めておいた。いやてか、このベンチ、座るとこないやん・・・。
ちなみにこの大聖堂のすぐとなりには、昔スペインの王が住んでいた宮殿がある。日の沈まない帝国と呼ばれただけあって、やっぱり物凄く大きかった。
スペイン王宮外では、ごきげんなおじさんが音楽を興じていて思わず聴き入ってしまった。
スペイン王宮の横には庭園がある。その横にある看板に、日本語がちょろっと書いてある。このご時世、中国語で書いてある標識はあるだろうと思っていたが、まさか日本語に出会うとは思わなかった。日本人に人気なんだろうか。思わぬ遭遇にちょっとびっくりした。
それにしても、この青空。飛行機雲がとてもきれいに直線を描く。なぜだか、スペインでは飛行機雲にお目にかかる機会が多かった。
すこし歩くと、セルバンテス像。セルバンテスといえば、あのドン・キホーテを書いた人。読んだことないけど。
そして、マドリードでの放浪は、まだまだ続く。