2/27(月) O Pedrouzo - Santiago de Compostela
最終日、朝6時過ぎには皆準備を始めだした。
このアルベルゲに泊まっている人にとって、今日が巡礼の最終日になる人がほとんどだろう。
皆の顔を見ると皆笑顔でとても嬉しそうだ。サンティアゴを前に、待ちきれない。
外は昨日よりも雨脚が強く、風も強かった。しかしもうサンティアゴは目と鼻の先。もはや無敵だった。
スタートして5kmくらいは雨に降られていた。ただ、どんなにゆっくり歩いても今日のうちにサンティアゴには到着する。
巡礼者の中には脚をいためている人が何人かいた。けれども、彼らも大体同じような心持だった。
サンティアゴに着いたとき、何を感じるんだろうか。
天気は悪かったが、時々雨は止んだ。ちょっとした町の教会だが、暗い天候のせいで、荘厳に見える。
雨が止んできて少しずつ明るくなってくる。ユーカリの木、細くて高い。
何でこんなにピンボケしているのかよくわからない。興奮していて写真がまともにとれていなかったのかも。
この坂を上ると、サンティアゴの大聖堂が若干見えた。青空も見え出して、気持ちも高ぶる。
最後の登り、Monte do Gozoを超えると、もうサンティアゴの町である。あと5km。ここには、ベッド数が非常に多いアルベルゲがあり、ここで最後に一泊することも可能である。
山を超えて少し行くと、Santiago de Compostelaの文字が。
写真を撮るのを忘れていた・・・。ここまできたらあと少し。
しかし、僕はこのあたりで、なぞの腹痛に襲われだした。
きっと昨日飲んだユーカリ茶だ。
早く行きたい気持ちもやまやまだったのだが、途中のカフェで一休みした。
ゴールを間近に控えた巡礼者達が僕を追い越していく。僕もはやく行きたい・・・。
トイレブレイクを終え、残りは3キロくらいだった。Santiagoの旧市街を目指した。
少しずつ町並みも古くなってくる。あと少し。
このさき旧市街地に入ったぐらいのところで、道を見失った。
迷うほど難しくはないと思うのだが、サインを見失っていたのか、少し旧市街でさまよった。
しかし気がつくと巡礼路に戻っていた。
少し歩くと、大聖堂の門が見えた。なんで大聖堂がゴールなのに大聖堂に向かってあるかなかったんだろう・・・。このとき何を考えていたのかよく覚えていない。
門では誰かがバグパイプを演奏していた。巡礼者を祝福しているようだった。
そして、ついに、ゴール。
ケントや韓国のフアンやカンたちは、一足先についていた。彼らと写真を撮った。
お互いに祝福の言葉を掛け合う。
僕以外の4人はSt Jeanから歩いてきた。喜びもひとしおだろう。
後ろがSantiagoの大聖堂だ。僕は実は大聖堂が長い間改修中であることを知らなかった。
巡礼が終わった後の僕の気持ちは、というと、あまり達成感とか疲労感とか、特別な感動とかはなかった。ここで巡礼は終わりなのだが、それでも巡礼があまり終わった感じはしなかった。
僕はサンティアゴについた後の予定は何も考えていなかった。サンティアゴの先には、実はまだ道が続いていた。サンティアゴから90kmくらい離れた、Finisterraという、中世の時代の「世界の果て」と呼ばれた岬が、本当の巡礼路の終着点である。
またFinisterraから北に60kmくらいいったところにある、Muxíaというところも、もうひとつの巡礼の終着点である。
Finisterra→Muxíaという順番で訪れた後、Santiagoに戻ってくると、特別な巡礼の証明書がもらえるようだった。僕は天気がよければ、FinisterraやMuxíaに行くのもありかな、と思っていた。
しかし、ひとまずはこの巡礼の終わりを祝福するのが最初だ。
サンティアゴを満喫
まずサンティアゴについてから、アルベルゲがどうなるのかがよくわかっていなかった。韓国の友達に聞くと、サンティアゴには公営のアルベルゲがあるが、市内からは2kmくらい離れているみたいだった。
その代わり、私営のアルベルゲが大聖堂の近くにあるようだった。アルベルゲというよりは、ホステルに近い感じであった。Booking.comで予約して、チェックインしにいった。
アルベルゲに荷物を置いて、一段落した。時間は13時過ぎだったので、シエスタの前に急いで巡礼者オフィスに向かい、巡礼証明書をもらった。
証明書は5€くらいだったか。冬の巡礼は人が少ないのがいいところ。夏だったら時間がかかっただろうが、待ち時間ほぼ0で証明書をゲットできた。
巡礼者のオフィスでは、昨日O Pedrouzoで会ったセビージャ出身の家族がいた。彼らはSarriaに車を置いていて、これからSarriaにバスで戻るといっていた。何日かかけて歩いた道を、1~2時間で戻れてしまうというのはなんとも不思議だ。
家族と連絡先を交換した。もしセビージャに来ることがあれば連絡して欲しいといわれた。
彼らと別れた後、韓国の皆とご飯を食べにでかけた。
お昼ごはんはこんな感じ。
お昼のあとはアルベルゲでゆっくりして、他のみんなの到着を待つ。結局O Pedrouzoで昨日会った人たちは大体サンティアゴについたみたいだった。
アルベルゲでケントたちと喋りながらゆっくりしていたら、韓国人の友達が、ベルギー人スティーブという面白いやつがFinisterraからサンティアゴに戻ってくるということを言っていた。
その後、僕たちがとまっていたアルベルゲにやってきたスティーブとは一瞬で仲良くなり、せっかくだからみんなでパーッと飲もうということになった。
ディナーはこんな感じ。
豪勢にワインを飲みに飲んだ。
その後は地元のバーみたいなところにいってさらに飲んだ。
結局3軒位はしごした。
リキュール43という、とても甘いリキュールに、ホットミルクを一緒に飲むということを3~4回繰り返して、みんなヘロヘロになるくらい酔った。
実はサンティアゴでは、2月28日にカーニバルがあるそうで、この日はちょうど前夜祭、のような感じになっていた。地元の大学生が仮装をしてバーで飲んでいた。
この後彼らと仲良くなり、飲み会ゲーム的なものをした後にナイトクラブに行った。朝の4時くらいまで飲んだ。
ナイトクラブはどこにあったのか、よく覚えていない。旧市街の中だったと思う。こんな古い町にも、ディスコのような場所があるとは思っても見なかった。
スペイン人の学生、朝まで踊っていて元気だったと思う。
巡礼の終わりはとても世俗にまみれた終わり方をした。
まだこの先に道は続いていた。これから先も歩く気はあったが、あまり天気がよさそうではなかった。4泊分、アルベルゲを予約していたので、明日から荷物を置いて歩くのもあり、天気がよくなってからバスで行くのもありである。
でも、それよりも、今まで巡礼であった人たちで、まだ歩いている人たちと再会したいという気もあった。
サンティアゴで待っていれば、いずれ彼らとは出会うことができると確信していた。僕が次の地に旅立つであろう金曜日までに、彼らが到着することを願った。
まだもう少し、僕の巡礼の紀行は続く。